第65回 逝きし人たちのために2022:08:05:08:49:14

産経新聞大阪本社 地方部編集委員 北村 理

過日、学生時代の〝師匠〟が亡くなられた。
その人は、武者小路公秀さんといって、平和研究をテーマにした国際政治学者だった。
作家の武者小路実篤のおいっこでもある。筆者が国連大学(東京)で学んでいたとき、数多くの薫陶を受けた。といっても、知識ではなく、生きる姿勢みたいなものだ。
今でも印象に残っているのは、はじめて質問に伺った際、彼は名もない一学生のために、椅子から立ち上がり、姿勢を正して、お話してくださった。

お話の内容は、近代になって以降の人種差別の歴史だった。インドのマハトマ・ガンジー、米国で差別と闘った末、暴力を受けた人々などの活動に触れた時、背筋を伸ばし、驚いたことに、目にうっすらと涙を浮かべながら、とうとうと語った。フランス人のクォーターでもある先生は、見上げるぐらいの身長で堂々とした体格だったと記憶しているが、そんな先生が、どこかかなたに視線を送りながら、「だからわれわれも、たゆむことなくその歴史を紡いでいく責務があるのです」と話してくださった。

というような感慨にふけっていたとき、ふと考えた。がんで亡くなった人を想う記念日などあっただろうか。以前も少し書いたが、近年のがん医療の進展、医療一般もそうだが、これまでがん医療を受けながら亡くなった方たちの足跡でもある。もちろん、数々のがん関連のイベントにはその意図も含まれているであろうが、それらのイベントの趣旨を目にしたとき、明確に、がんで闘病し亡くなった人への感謝を記したものは目にした記憶がない。
今後、そうした意図が前面に出てくれば、さらに、がん医療への理解、がん医療をよりよいものにしていく取り組みが進むのではないだろうかと〝師匠〟の遺言を反芻している。

東日本大震災のあと、被災者を支援する行動は多く見られた。しかし、各地の追悼記念日とは別に、とりわけ犠牲者の多かった大槌湾で、亡くなった人への鎮魂演奏会を、指揮者の佐渡裕氏の発案で企画し、粛々と今も続いている。目の前の復旧、復興はもちろん欠かせないが、生きている人の心に宿っているのは、なにより亡くなった人への悔恨だ。そこへの視線、学び取る努力なくしては、本当には前に進むことにはならないだろうと、被災地の人々と今も語り合っている。
<2022/8/5 掲載>