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第52回 最善をつくすことの大切さ2021:06:03:17:33:32
産経新聞大阪本社 地方部編集委員 北村 理
「正解とは言えなくても、(われわれは)最善の道を選んだ」
この言葉は、小説・映画「神様のカルテ」の原作者、夏川草介氏の最新著「臨床の砦」のキーワードだ。一地方で増え始めたコロナ患者を多くの病院が受け入れを拒否するなか、孤軍奮闘する病院に勤務する主人公の医師が、院内の会議で発言した。
会議では、院内クラスターの〝犯人〟追及を叫ぶ医師たち(コロナ患者を治療していない)とコロナ患者を治療していた医師たちとの間で対立が生じかけていたその時、幹部医師に発言を促された主人公は、「他の医療機関が拒否していた時、当院が受け入れてきた」ことが、「行き場がなくなる患者たちにとっての最善の道だ」と主張したのだ。
状況下で最善を尽くすー。これは、東日本大震災の経験から生み出された「津波避難三原則」の中にもうたわれている。
人間が容易にコントロールできない未曽有の危機に直面した時に、何をすべきか?
それは「最善を尽くすことでしかない」のだ。地震が起きたら躊躇せずすぐ逃げる、コロナ患者がでたら、すみやかに収容し、患者の状況に応じて治療を行う。
問題は、このことが共有されているかどうかだ。
これまで本欄で書き続けて来たが、共有を阻害する「(調整役の)行政の不作為」、「日常に堕した医療者・機関」...。「臨床の砦」もそう書く。ただ、同書は、最後に、そうした共有感が少しずつ広がりつつある希望も描く。実際、行政が音頭をとって医療機関の調整に努め、うまく、患者の重症化を防ぎつつある事例が増えている。
「状況下で最善を尽くす」ことは、現場でしかできないことであり、だれか(医師会、国、都道府県)がやってくれることではない。対応の善悪を呻吟することではなく、「命を救う」この一事のみを目指す最善の行動こそが求められるのだ。
最善をなすべき当事者は「マスク、手洗い、3密を避ける」ことができる国民も当然含まれる。感染症の専門家、最前線の医師たちはこのことのみを国民に求めている。
われわれの敵はコロナではなく、人間の共有感を阻害する「なにものか」なのだということに気づかねばならない。この教訓は、今後、高齢化に伴う「多死社会」を迎えるわれわれにとって非常に多くの示唆を与えてくれる。
<2021/6/3 掲載>