第51回 職責はまっとうしよう、何があっても...。2021:05:06:05:53:23

産経新聞大阪本社 地方部編集委員 北村 理

新聞記者になって30年。心に固く決めていることがある。
後輩にも言っているが、「筆一本で社会を変える気構えがないなら、やめた方がいい」と。
新聞は「第4の権力」といわれる。新聞が社会におもねると、それはすなわち弱者を押しつぶすことになりかねない、からだ。
政治家しかり、公務員しかり、教員しかり、そして医師もだ。社会にダイレクトに影響を与える、いわば「公職」にある人間は、いつでもどこでも弱者に手を差し伸べる覚悟と不断の努力を継続できないなら、職を辞したほうがいいだろう。

コロナ禍が、命の選択をよび、日々悪化している。
在宅医の悲鳴があがりつつある。何に対する悲鳴なのか。みずからの負担のことではない。
かぜが吹こうとも、雨がふろうとも、ろうそくの火が消えないように手で囲い、守ってきた命の灯が、消されようとすることに対することへの悲鳴だ。「病院で一時治療をうけるだけで改善すると病院に言っても、コロナを理由に耳をかそうとしなくなっている」。
政府がいう「不要不急の治療」だからか?
このままでは、コロナ禍を乗り越えても、医療への不信感はぬぐえないだろう。医療への不信感とは、必ずしも医療者のことのみを指すのではない。コロナ禍を脅威よばわりして、コロナ禍以前の努力を怠ってきたことを覆い隠そうとしている、国、地方行政の責任のほうがむしろ大きいだろう。

2030年に高齢化がピークを迎え、多死社会を迎える。今目の前にいる高齢者に向き合わないということは、将来自分たちが高齢者になっても状況が変わらない、むしろ悪化するだろうことに、思いは至らないのであろうか。

職責といえば、阪神タイガースのスーパールーキー佐藤輝明選手が非常に興味深いことを言っている。「自分の仕事は、ホームランを打ち、ファンの人々に喜んでもらうこと。だから何があってもバットを振り続ける」。言葉通り、いや言葉以上の成績を残しているが、こうも言っている。「野球がうまいからといって、偉いと思わない。ファンを喜ばせられないなら」と。命を尊いと思わないなら...。これ以上はいうまい。

<2021/5/6 掲載>