第49回 医療の闇2021:03:05:17:21:08

産経新聞大阪本社 地方部編集委員 北村 理

マスコミが報じる医療用語で「トリアージ」という言葉ほど腹立たしいものはない。
初めて目にしたのは阪神大震災の時だった。以来、災害が起こるたびに話題となり、新型コロナ感染者への対応でも、「医療崩壊」という言葉とともに登場した。
いわく、感染者の急増に対し、限られた数の人工心肺機器をどの患者に使うのか、使わないのかとか。災害でも新型コロナでも「命の選別」に現場の医療者は苦悩しているというようなニュアンスで報じられる。

しかし、そもそも、トリアージというのは組織的、さらに組織と組織の連携によって行われるべきもので、限られた現場の医療者だけで判断されるべきものではない。だいたい、医療というのは命を救うために行われるものであり、命の選別などという事態を招くほうがおかしいと、医療者からも疑問がなげかけられ始めている。

本欄で前回も触れたが、47都道府県で唯一死者ゼロの島根県では、感染者全員を治療対象としており、そもそも「命の選別」をしなくてもよいように、「重症化」をさせないための「トリアージ」を実施している。つまり、行政による感染者の把握と追跡調査、医療機関は大学病院、県立病院を頂点として、県下の医療機関の役割分担を明確にし、患者の症状別に「トリアージ」しているのだ。医療機関の連携プレーにより、患者の治療を流動化させ、一部の医療機関を負担過剰にさせないことで、結果的には、重症化を防いでいるのだ。

各都道府県の保健医療計画をみると、高齢化社会への対応として「地域医療」という言葉がちりばめられているが、実態はどうなのか。
「命の選別」を批判する医師は「これぐらいの患者数で救急搬送が困難という事態を招いてはならない」と指摘する。
どうも、新型コロナ対応で露呈した、表向きは「世界でも有数の」と称せられる日本の医療の闇がみえてきたのではないかと感じている。
<2021/3/5 掲載>