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第43回「だいじょうぶ?」と「だいじょうぶよ」の違い2020:08:03:05:48:28
産経新聞社 社会部記者 北村 理
このところ本欄で書いてきたことは、患者の不安にどうこたえるのか、こたえたのかということだ。日本の医療機関に決定的に欠けているところだと思う。
医療に限らず、防災、教育、経済活動なんでもそうだが、国民の不安を解消しようという姿勢に、日本の行政、専門機関は欠けている。こうしたことは、情報を積極的にださない閉鎖性に表れている。人より高見に立って、困っている人の顔を覗き込んで「あんた大丈夫か?」といっているようなものである。そういわれると余計不安が募る。
人は、先行きがある程度みえて、不安が解消されれば、自分で動く。それをしないから、「政府は国民をバカにしているのか」と批判される羽目になる。不安が解消されないまま放置されると、ロクなことにはならない。
特に、日本人は同質性が高いから、不安が共鳴して、ヒステリー現象がまま起こる。東日本大震災の放射能騒ぎや、コロナの感染騒ぎにも顕著に表れた。
ところで、このところの巣ごもり生活で、YOUTUBEで検索して、洋の東西を問わず音楽をきく習慣がついた。今のような不安がまとわりつく時には、音楽は力になると感じた。基本的に人の気持ちを高揚させたり、リラックスさせるのが音楽家の生業だから、言葉にしなくても、メッセージが伝わってくる。「心配しなくても大丈夫。そのうちなんとかなるさ」と。それがなかなかしてあげられないからもどかしいと、指揮者の佐渡裕は涙していた。
そういえば、先日、建築家の安藤忠雄さんに「コロナ後の世界」について話を聞きにいった。感染症は歴史上繰り返されているというような話の途中、安藤さんはふと顔をあげて、「それでも人間の歴史は続いている。人間は未来をみる能力がある唯一の生き物だから、夢や希望をさがすのがうまいんや。今度もなんとかなるて」と話した。「膵臓なくても生きてるで」と口癖のように言う人だから、まあ、なんとかなるんでしょう。
<2020/8/3 掲載>