第38回 がんと終活(2)2020:02:05:05:52:03

産経新聞社 社会部記者 北村 理

都内に在住していた親族の男性は、地元の市民病院で治療を受けていた。治療を開始する前から相談を受けていた立場からみていると、初期の大腸がんの手術のあとの対応以降、がん治療の経験不足がかいまみえていた。手術後の退院時に主治医が「なんでも食べていい」と男性にいい、腸閉塞を起こさせたり、治療に抵抗感を示しだした高齢の男性を相手に抗がん剤の標準治療を施して、重症の副作用を起こさせたりした。最後の最後まで病院側は病院での積極治療の一点張りで、在宅療養の可能性には全く触れなかった。
こういった一連のできことは、腸閉塞を起こさせた時点で感じており、がん専門病院への転院を男性に勧めたが、主治医の名前が親類の男性と同じだとかいって、件の病院に固執した。都心のがん専門病院に通うことも面倒くさがったということもあったようだった。
亡くなる直前も、容態の変化を看護師が家族に知らせながら、主治医に報告せず、容態が安定してきたと家族に伝えたために、家族は病院にいかず、結局、一人で死なせることになった。このことは主治医から報告と謝罪があったが、あとの祭りである。

こうした一連の経緯を、幾人かのがん専門医に話してみた。共通した意見は、最近がん治療がクローズアップされるにつけ、経験以上の治療をしようとする病院があるということ。
また、厚生労働省がいうほど、がん治療の「均てん化」は進んでおらず、それを補うがん治療の病院間ネットワークも進んでいないということだった。さらに、米国に比べ、がん治療にともなうさまざまな副作用に対応できる専門医療者がいないという声もあった。
総じて彼らの意見は、がん治療の現状の課題として、さまざまな先進医療が施されるようになった一方で、治療の質において、地域間格差、病院間格差が広がっているのではないかという指摘だった。

治療に期待できる効果に限界があるものだが、それならそれで、生活の質に治療の方針を切り替える判断があってしかるべきであり、それができてこそ、地域の病院の力が評価されるのだと思う。先端医療ができる、できないという評価ばかりではないはずだ。ある在宅医は「そんな治療のレベルなら私もうけたくない」と言った。
もっとも、こうしたがん治療をめぐる根本的な問題は、医療機関の責任のみならず、むしろ、がん治療の実態を知ろうともしない地域行政の不作為がある。
3人目の事例は後述するが、こんながん治療の現状では、「終活」などのぞむべくもないと感じている。
(つづく)

<2020/2/5 掲載>