第32回 先送り、今だけ、金だけ、自分だけ...2019:06:04:05:45:44

産経新聞社 社会部記者 北村 理

現代日本社会の負の側面を言い表すと「先送り、今だけ、金だけ、自分だけ」という言葉になるそう。社会を意識せず、刹那主義に生きるということらしい。
池袋の事故がまだ尾をひいている。事故を起した87歳の元キャリア官僚はあくまで過失を認めず、新車を買う予定だったともいっているらしい。まさに、現代の刹那主義の権化といってもいいだろう。
今まで頑張って、功成り名を遂げたから、なんでも自分の努力で頑張ったらできると思い続ける人々は確かにいる。

本欄で以前紹介したが、さる省庁の事務次官経験者が、終末期医療を受けるため、沖縄に移住したときのこと。病院ではやりたい放題で、ステーキを食いに行くといっては外出し、ベットの横で腕立て伏せをやったりして、担当のベテランナースは手を焼いていたらしい。ところが、である。すらっとした沖縄美人の新人ナースが検温にくるようになり、すっかりおとなしくなって、火が消えるように亡くなったという。
ベテランナースいわく、「そりゃ、口うるさいババアよりはいいわね。というより若い母親の胸にだかれるような顔していたわね。亡くなる前は」。

池袋の当事者も、家族から、免許を返上したらとはいわれていたらしい。この元キャリア官僚の場合も、ダメ出しをするのではなく、子供をさとすように、イヤイヤする子供のように老いにあらがう気持ちをくみながら、やさしく順々に「なぜ高齢の運転が危険なのか」を話してやれば、あるいは免許を返上していたかもしれないと思うのだ。

これも終活のひとつだと思う。終活といえば、ともすれば、「より良い選択」に話が偏りがちだが、その選択をする以前に、自分の人生を総括することは必要だということを前述のふたつの事例は語っている。例えば、在宅診療のチームの中に、傾聴の担当者が加わるのもいいだろう。在宅診療医に、比較的スムーズに看取りをした事例をきくと、家族関係が良かったり、修復したり、在宅医療チームに聞き上手がいたりしているケースが多いのだという。

老いをめぐる問題は、対象となる高齢世代が生きてきた社会や、時代性が色濃く反映される。やっかいもの扱いするのではなく、若い世代は自分たちのよって立つ今を作り上げてきたもの(歴史)への理解を深めることが必要なのだろうということだと思う。
こういう話は、まだちょっと、わが家の「ナースの卵」に難しいかな...。

<2019/6/4 掲載>