第19回「ミャンマーで目にしたこと」2014:10:05:19:18:31
産経新聞社 社会部記者 北村 理
先日、ミャンマーに行ってきた。勤務する新聞社がほぼ半世紀にわたり取り組んできた、小児の心臓治療を支援する基金の運用のための視察だった。
ヤンゴンの病院を巡ったのだが、そこで興味深い光景を目にした。親がカルテを保管し、カテーテル治療で使用した医療機材の管理も親がしていたのだ。健康保険制度のないミャンマーでは、循環器系の治療はおのずとお金がかかる。カテーテル治療だと約20万円(公務員の月給は、約1万円)。ただし、これは、現地での治療機材の料金のみ。治療は、たったひとりの専門医が、友人や家族から募金を集めて行っている。患者は経済状態に応じて、支払える分だけ払う。
ミャンマー通によると、こうした光景は、他の病院ではみたことないというから、恐らく、この病院だけの現象なのかもしれないが、日本から同行した小児心臓の専門医は「なんでも医者任せの日本とはちがいますね」と話した。親、医療者らが、子供の命を救うということで一致団結して、治療にあたるため、万が一の場合も、親たちは運命として受け入れるという。
今後、ミャンマーの発展が進むと、そうではなくなるかもしれないが、「医療の原点」と日本の医師がつぶやいたことは、病院がコンビニ化しているといわれる日本では、重く受け止めねばならないことだろう。こうした、医療者と患者との関係性は、がんの在宅治療を広げるためにも考えるべきことである。
生活に仏教が行き渡っているミャンマーならではのこともあるだろう。ガイドの男性にきくと、ミャンマーでは、子供の時に、自分で寺に行き、自分で期間をきめて、僧侶と生活をともにする習慣があるらしい。そうしないと、「いくじなし」といわれるそうである。しかし、一方で、男は、飲む、打つ、買うのどれかに手を染めないと「一人前の男扱い」されないとも、ガイドの男性はいう。このあたりは信心深さと矛盾することゆえに、今後ミャンマーに行くうちに、検証せねばとガイド氏に宣言して帰国した次第である。
<2014/10/05 掲載>