第7回「第6章 医療にささげる心」2014:09:11:19:58:38

近畿大学学長 塩﨑 均

心の通う関係

法医解剖の基本的な考え方は、医師法にも定められています。医師法21条の異状死という条項で、死因の定かでないご遺体については警察にも届ける義務を負うし、解剖で死因を解明する責任が医師にはあるのです。
多くの病院ではこうした条項に該当するケースがあると、それが国の方針であるという説明をして事務的に解剖をお願いする場合が多いようです。医療訴訟を回避しようとする意図もそこには含まれると、お願いはさらに事務的な様相を帯びることになります。

けれども本当に考えなければならないのは、残されたご遺族のご意向であるはずです。きちんとした治療がなされ、その死をご遺族が納得されているのであれば、無用な訴訟など起こるはずはないにちがいないのです。
医療スタッフが、医師も看護師も一丸となって治療にあたれば、そこには患者さんやご家族と心の交流が必ず生まれてきます。お互いの信頼関係を結べる医療こそが本来のあるべき姿ではないでしょうか。
訴訟をどう回避するか、そのようなことに主眼を置くような医療は、本来の原点とはかけ離れたゆがんだ姿です。医療の進むべき方向を、国全体で見失ってしまわないよう心がけなければなりません。

長期の交流

29歳から55歳まで本業の大学病院とは別に、兼業として勤めていたところがあります。Tアルミ工場の産業医として毎週半日、赴いていたのです。26年間行かせていただいたので、社長とのつき合いも三代か四代にわたるでしょうか。工場全体のかかりつけ医として、社長から新入社員までの幅広い層を相手に、健康診断から身の上相談まで幅広い内容の経験をさせていただきました。
それは私にとって、病院以外の世界を知る好機でもありました。もちろん健康管理が主たる仕事でありましたが、メンタル面の相談も数としては少なくありませんでした。心療内科というような考え方がまだ普及していなかった時代でもあったので、今でいうメンタルヘルス的な役割も担っていたのです。

悩みの多くは人間関係に関するものでしたが、どう対処してあげるのがベストなのかを考えることは、患者さんの心理にも通じるものがあり、私自身の勉強の場でもありました。
また、産業医として工場の環境や安全面での配慮などにも関わりをもつ関係上、職場の部署などについても次第に熟知するようになっていき、社員の精神的なキャパシティーや体力と、配属されている部署が合致していないようなケースでは、数ある部署の特徴や特性を考慮し、配属に関するアドバイスをするようなこともありました。

長期にわたる交流によって生じた社員の方たちとの家族のような関係は、産業医をリタイアした後もずっと続いており、集まりがあれば古きよき時代の話に花を咲かせています。

覚悟と責任
医師不足の叫ばれる昨今、特に外科医は同じような状態が続くならば2015年には志望者がゼロになるとさえいわれています。手術などのために勤務時間が長い上に、緊急手術で呼び出されることも多い。当直してそのまま翌日も勤務という激務です。難しい手術ではリスクを負わねばならず精神的な負担も大きいとなれば、敬遠されるのも無理からぬ話かもしれません。医療環境を整えることは急務であるといえます。

医療は高度化を続け、私が医師になった頃とは質的にも量的にも各段の差があります。医療が高度化するにつれて医師の仕事も増えていく。がんを例にとっても、昔はほとんど手術のみに頼っていた治療が、現代ではさまざまな抗がん剤の組み合わせを考え、放射線を使い、どのタイミングで手術を入れるか考えなければなりません。複雑な薬や機器を使いこなすためにはそれなりの知識も勉強も必要で、ひとりの患者さんに要する時間はますます増えることになります。
そして、治療が複雑になればなるほど、患者さんの心をしっかりつかむことが必要になってくるのです。たとえば、がんの告知です。一昔前は、がんというのは「告知してはならない」類のものでした。しかし、ここ10年くらいの間に「がんは告知すべき」ものだといわれるようになってきました。そして最近では、「がんは告知しなければならない」とまでいわれるようになりつつあるのです。

しかし、告知はただ単に「がんである」と告げればそれですむものではありません。もちろん告知をすれば、患者さんの治療に対する理解も深まり、心がまえや覚悟もしっかりできるので、担当医師としては助かる面もないわけではない。けれども、すべての患者さんが状況を前向きに受け止められるものでもありません。中にはその状況を受け入れるだけの気持ちの余裕がもてない患者さんだっているはずなのです。
そしてさらに突き詰めて考えていくならば、すべての治療を行ったにもかかわらず結果が思わしくないという場合だって、決して起こらないわけではないのです。そういうときには、外科医として一体どうすればいいのでしょうか。手を尽くしたがもはやなすすべはない、ついては退院していただきたい。そんな恐ろしいセリフを口にできる医師がいたとしたら、それこそ大問題でしょう。
今の医療教育には、一番大切なところ、肝心な部分が置き去りにされているのです。「告知」するにはするなりの「覚悟」というものが、そして「告知」した時にはした時なりの「責任」が、医師の方にも求められていることを忘れてはなりません。

私は後輩医師を指導する際には、必ず言うことにしています。「告知をしたその時から、患者さんのすべてに責任をもつ。それが告知をするということなのだ」と。
がんの患者さんは無事に治癒することができ、めでたく退院となることもあれば、そうではない形で病院を出なければならないこともあります。そのどちらの運命が待ち受けているにせよ、最後まで患者さんとご家族の心のサポートを怠るようなことがあってはならないと思うのです。
緩和ケアやターミナルケアは、その専門家に委ねることができればベストです。しかし必要なメンタルサポートの約8割程度は、外科医が行っているのが現状だと思われます。医療技術が高度になれば高度になるほど、治療の過程が複雑になれば複雑になるほど、心の問題は比例して増加していくのではないでしょうか。

<2014/09/11 掲載>

(2009年 株式会社 悠飛社発行 塩﨑 均著 「天を敬い、人を愛する」より著者のご厚意により転載させていただいています。)