第18回「今でしょ!と言ったのに...」2014:07:20:13:46:33

産経新聞社 社会部記者 北村 理

「3歳児のつもりで接してあげてください」と医師はアドバイスした。
相手は高齢男性。「3歳児」とはその奥さんのこと。冒頭のくだりは、認知症が進み、地元の病院に診察に行った時の情景だ。高齢男性の家庭は、この妻と引きこもりの子供がひとり。診断を受けたあと、しばらくして、高齢男性は妻の首を電気コードでしめ、自らも自殺を図った。

この高齢男性の弁護士は「どうして病院がデイケアを勧めなかったのか」と疑問を呈した。しごく真っ当な指摘であったと思う。この男性の妻のように3歳児のような状態になると、家庭内はどうなるかと考えるのが普通の感覚だろう。何も特別に想像力を働かせる必要はない。なぜ、そこで思考がとまってしまうのか。

こうした事例は、がん治療にもそのままあてはまる問題だ。がん治療の過程で、介護サービスや在宅診療所を利用するケースが生じた場合、問題となるのは、これらの介護や在宅診療所のリストを患者側に示すだけで終わってしまっているケースが少なくないことだ。リストアップされていても、がん患者を扱ってきた経験によってサービスの質は異なる。最近は、地域の病院やこういった介護・在宅診療所が定期勉強会を開催し、連携を深めているが、一部にとどまっているのが現状だ。そもそも、要介護認定のスピードも地域によってマチマチで、患者の病状によって間に合わないことも多いのだが。

これらの、がん治療をめぐる問題は、冒頭の事件と問題の本質はさほど変わらないといっていいだろう。実際に、がん治療でも、介護殺人はまま起きている。かつて取材した中に、お寺のお坊さんが、がんになって苦しむのをみかねた妻が手をかけたという事件があった。なぜその事件に関心をもったかというと、その近くに、がん患者の経験が豊富な介護・在宅診療所があり、取材したことがあったからだ。このケースもやはり、お坊さんが治療を受けていた病院が、その診療所があるのを知っていながら、紹介していなかった。

こうした社会の連携の希薄さがもたらす悲劇は、ちかごろの虐待やDV、育児放棄、ストーカー殺人事件なども同根だ。いわば、現代の日本社会の病理といえる。昨年伊豆大島の土砂災害で多くの人が亡くなったが、このときも、現場で状況を把握していた警察が町役場には通報しても、自ら避難呼び掛けを行わなかった。町役場の判断、対応も当然、責任を問われるべきだが、その状況、状況で、役割の枠を超えて判断しなければならないこともある。それが出来ずに惨事を招いているとしたら、社会そのものの反射神経が鈍くなっているといわざるをえない。

<2014/07/20 掲載>