第16回「奥深い(?)話」2014:04:22:18:25:10
産経新聞社 社会部記者 北村 理
以前、緩和ケアの取材をしに沖縄へ行ったことがある。
なぜ沖縄かというと、戦後の米国統治以降、米国医療の影響を受け、モルヒネの使用をはじめとする緩和ケアに熱心な土地柄で、6年前の取材当時、「がん死亡数が全国最低の割には、終末期におけるモルヒネ使用量は全国でトップクラス。米国流の患者とのコミュニケーション訓練を受けており、患者の要望を適切に聞き出す力が医療者にある」という説明を受けた。また、ある総合病院の看護師長は「沖縄は地域の結びつきが強く、独居の人でも隣近所がケアしてくれる」と胸を張った。
取材が一段落して、その看護師長が裏話として「われわれの緩和ケア力をもってしても叶わなかった事例がある」と語り出した。苦渋に満ちた後悔の念を吐露するのかと思いきや、こちらのそうした見込みに反して、顔は笑っている。
ある患者が東京からやってきた。緩和ケアの充実した沖縄という評判をどこかでききつけ、がんの末期で最後をここで迎えたいとのことだった。ところがである、霞ヶ関のトップにまで上り詰めたというこの男性は、さっぱり看護師長のいうことに耳を貸さない。
看護師長いわく「彼の人生そのもので、頑張ればなんとか危機を乗り越えられると思っていた」らしい。腕立てふせで体力をもどそうとしたり、ステーキを食べに出掛けたり、沖縄の気候で元気になったのか、やりたい放題だったらしい。
そうこうしているうちに、この患者の担当だったベテラン看護師が交替し、看護学校出たての若い女性看護師とあいなった。それから患者は見違えるように素直になり、約1カ月後、「眠るように亡くなった」(看護師長)。看護師長は「経験と技術ではどうにもならない、人間の精神の奥深さ(?)を感じ、反省した」と笑いながら話した。
計画的に、というローン会社のCMではないが、情報過多の時代。ついつい、なんでも天秤にかけるクセがついて、ジタバタしてしまう。「人間らしく最期を迎えたい」というノウハウ本の出版が盛んだが、看護師長の話してくれたような奥深い(?)話しはどこにも載っていないのである。
いや、思い出した。開高健の本を読みあされば書いてある...、はずだ。
「人間らしくやりたいナ、人間なんだからナ」とつぶやき、バッカスの神をいただきながら、祈りを捧げればよい。おそらく文豪もそうしたはずである。
<2014/03/22 掲載>