第6回「第5章 大学病院の院長として」2013:10:22:17:35:39

近畿大学学長 塩﨑 均

全ての職員と

大阪大学から近畿大学に移籍して三年半後に病院長に就任した時にまず考えたことは、これから定年までの間にどれだけのことができるだろうかということでした。時間的な猶予はまだあるはずだったので、具体的な目標を指針としようと決めました。そしてこれからの医療にまず必要なのは「安全管理」と「感染対策」を中心とする良質で高度な医療の提供である、と方針を定めたのです。

その結果、看護師や職員の人事などについても、病院長という立場から意見を延べたりもするようになりました。そのようなことは、それまでは病院長の責務の範疇ではなかったのですが、すべての職員の個人的な事情や背景も知った上で人事を考慮することは、安全管理の観点からいっても必要不可欠なことだと判断したのでした。
チーム医療という観点も、忘れてはならない側面でした。がんの治療ひとつをとってみても、内科・外科の医師、看護師、放射線科や麻酔科の医師、薬剤師、緩和ケアやソーシャルワーカーなどの共同作業であるということができます。それぞれの者がいかに力を結集し、よい医療を提供できるか。クオリティと患者さんの満足度の高い医療にウエイトをおく病院作りを目指したのです。

総合力という意味では医療スタッフだけではなく、病院のすべての職員が私の同僚であると考えました。事務方も食堂のスタッフも、もちろん清掃関連のスタッフも例外ではありません。いちばん早く私に打ちとけてくれたのは看護業務を補助する同年輩の人たちであったことは、今でも私の楽しい思い出です。

トップの心得

病院長になってから学んだこともありました。クレーマーへの対応などもそのひとつです。社会現象として今、学校においても地域社会においても、クレーマーの問題を避けて通ることは不可能だといえるでしょう。それは病院でも同じことで、その人たちはどのような些細な問題も見逃すことなく、病院全体にかかわるありとあらゆる方向から問題を提起してくるのです。

そのようなケースにおいて、私が必ず実行していることがあります。遠まわしの対処は避け、直接彼らに会うのです。まず直接会って話を聞き、それに対する私自身の考え方を述べます。この病院はどのような考えに基づいて運営されているのか、そのあたりのこともきちんと説明するようにします。こちらのいたらないところは、素直に認めることも大切です。

そしてそのようにきちんと対応した上で、さらにもうひとつ大切なことがあります。最終的に今後は病院のコンサルタントとして、ぜひとも意見をお聞かせいただきたいとお願いするのです。そうすると彼らの態度は180度転換し、必ず病院の味方になってくれるようになります。つまりクレーマーから協力者へと変貌するのです。

トップの対応として心得るべきことは、とにかく直接話を聞くことでしょう。先入観を捨て、まずは相手の言い分を聞く。そこから逃げてはだめなのです。

そしてきちんと向い合い話を聞いた上で、可能ならば今度はこちらの懐に入ってもらうことを考える。

そしてそれはよく考えてみれば、私が学生時代にあれほど精魂込めて打ち込んだ合気道の原理に通じるものがあるように思えるのです。

直接ぶつかり合うのではないのですが、かといって逃げるのではない。相手の考え方を受け入れ、ともに合意できる方向を見出す。その考え方は、その原理ゆえに私が愛した合気道と、本源的には同じだったのです。

変わらないもの

私という存在はあくまでも私です。学生であっても医局員であっても教授であっても病院長や医学部長であっても、たとえどのように立場は変わっても、私はあくまでも私なのでした。立場が変われば、自然と相手の対応は変わってきます。若い駆け出し医師と大学病院の院長では、相手の対応が変わってくるのは当然のことでしょう。

けれども、私の中にあるものは変わっていません。学生の時、合気道に熱中していた頃に私中にあったもの。勝つのが困難なように思われる相手にもひるまずに、身をかわし、態勢を変えながら立ち向かってゆかせたものは、変わっていないのです。

研修医の頃、私の中にあったものも変わっていません。持久戦を余儀なくされる困難な手術にさじを投げ諦めようとする先輩医師に、若輩の身ながらくい下がり手術を続行していただいたこともありました。未熟な自分の技術を補いたいがために、一週間分の下着をもってつきっきりで患者さんを看病したこともありました。私にそうさせたものも同じものです。

人格は核となる性格の周囲に形成されていくものだと、冒頭部分で述べました。たとえもって生まれた性格が自分の理想とするようなものでなくとも、経験を重ねることによって豊かな人格に変貌していくのだから、何も悲観したり絶望することはないとも述べました。

しかしここで私が変わらないものとして述べているのは、性格とはまた別個のもののことです。自分の中にあって、自分が終生守ろうと思うもの。確固たる信念をもって生涯貫き通そうと思うもの。人は誰も、そのような大切なものを心の中に温めながら生きていくのではないでしょうか。

「状」と「理」

よい指導者の条件は、強烈なリーダーシップとともに、人間の相反する側面を合わせ持つことであるという話を読んだことがあります。たとえば、「独裁と協調」「強さと弱さ」「非常と温情」などのように相反する両極端の側面をもち、これらの矛盾する側面をいかにバランスよく調和させてどのように生かしていくことができるか。それが成功と失敗の分かれ目であるというのです。

言い換えると優秀な指導者たる条件は、「情」と「理」を兼ね備え、しかもそれを適切な状況下で適切な時に使い分けることができる者ということになるでしょうか。けれどもご存じのとおり人間というのはそう単純な生物ではありません。必ずどちらかの面に偏っているものだと私は思うのです。

たとえば、西郷隆盛などは「情」に深い人物です。もちん「理」にも長けていますが、どちらかというと、「理」よりは「情」の方に傾いているでしょう。あふれんばかりの「情」に生き、「義」を貫いて自刃することを選んだのです。
一方、大久保利通は同じ明治維新の中核をなす人物ですが、どちらかというと「理」が勝る人物でしょう。彼とても決して「情」のない人物というわけではありませんが、両者を比較すると「理」に富んでいます。そして彼の劇的な人生の最後は、暗殺という形で締めくくられるのです。

西郷隆盛と大久保利通、どちらも優れた指導者であることは間違いありません。しかし、その死に様はあまりにも対照的であり、それぞれの人生がそれぞれの死に様と同じように対照的であったことを物語っています。彼らほどの人物でさえ「情」と「理」をすっぱりとナイフで切ったように使い分けることはできなかったのです。「情」と「理」、両者を兼ね備え、しかもそれを自在に操ることのできる人物が、どれほど存在しているでしょうか。

人はそれぞれです。根本的な性情は、あるいはコントロール不能であるのかもしれません。けれども、自分にない部分を自覚し、理解することはできます。自分に欠けた部分を補おうといかに努力するか、自分の弱いところを補填しようとどれだけ腐心するか。優れた指導者にはそんな資質も必要なのではないでしょうか。

<2013/10/22 掲載>

(2009年 株式会社 悠飛社発行 塩﨑 均著 「天を敬い、人を愛する」より著者のご厚意により転載させていただいています。)