第11回「大切なことでふだん忘れていること(2)」2013:06:25:09:57:39
産経新聞社 社会部記者 北村 理
娘の通いだした私立中学校の先生からいいはなしを聞いた。
ここは中高一貫で、私立の少ない地元の医師の子弟が通ってくる。当然、進路先として、地元の公立大学の医学部がそれなりにいる。
先生の話は、医学部に進学した卒業生から聞いたというもの。あるとき、学部で教授とすれ違った際、「おはようございます」とあいさつしたら、教授は驚いた顔をして、「今時めずらしいな。どこの高校をでたの?」と聞いたらしい。
この話しをしてくれた先生は、「人間関係の第一歩は元気なあいさつからとしてきた当校の方針に間違いはなかった」と胸をはった。
たしかに、「あいさつ」をすると、印象づけには有効かもしれない。しかし、それだけだろうか?と考える。
先日、あるがん治療医を取材していたら、彼はしきりに「共感」という言葉を使った。がん治療は現在、多職種からなるチーム医療となっている。さらに在宅ネットワークもこれに加わる。こうなると、主治医と患者だけの治療者―被治療者の関係はうすれ、患者もネットーワークの一員として主体的な役割を求められるようになっている。この多様な当事者間の連携には、相互理解による「共感」が必要というわけだ。
そう考えると、あいさつは共感の第一歩であり、冒頭のエピソードでは、共に医学・医療を考えようという思いのあらわれではないかと教授はいいたかったに違いない。
そういえば、国立がん研の部長の嘆きを思い出した。ある時期になると若い医師はやめていく。理由は給料が低いことを嫁に攻められるといって開業する。開業が軌道に乗って、あいさつにくると、たいていは外車にのってくるらしい。
たしかに、教授を単位取得の道具としかみていなければ、自分から元気なあいさつをすることなんて思いもしないだろう。医学部に入るまでの投資、高い授業料を考えれば、単位を与えることは当然と思ってしまえば、いまどきの子が考えそうなことである。その結末が、がん研部長の嘆きなのだろう。
こういった世界と異質な「医師道」ともいうべき世界を描いていると思われるのが小説「神様のカルテ」(1~3巻)だと思う。嵐の桜井翔が主演の映画にもなり、続編の公開へ向けて準備も進められている。
この小説では、医師になってから6年間、「24時間365日患者を受け入れる」ことを標榜する地域の救急(総合)病院に務める内科医、栗原一止を主役に大学の医局、多職種の医療者もからんで、「医療とはなにか」を問いかける。原作者は、病院勤務の内科医らしい。
あるシーンで、病院の事務長に「医療機関の分を超えて患者に肩入れしすぎている」と攻められた栗原医師はこう反論した。「医師の話ではない!人間の話をしているのだ!」と。
こうなると、医学教育だけでは事足りない、人間教育の範疇になってくる。冒頭のエピソードを聞いて、地域医療の担い手は小中高校時代から、地域をあげて育成することを目指すべきではないかと感じた次第である。
<2013/06/25 掲載>