第4回「第3章 消化器外科のスペシャリストとして」2012:09:17:23:32:25

近畿大学学長 塩﨑 均

消化器外科とは
消化器は、食べ物を消化・吸収・排泄する食道から胃・腸・肛門に加えて消化を助ける肝臓・すい臓・胆のうなどを指します。これらの臓器はがんだけでなく、腫瘍や潰瘍、静脈瘤などさまざまな病気を発症するのです。

消化器外科は、こうした消化器系の臓器の病気を外科的処置で治療する診療科です。もちろん大きな意味では外科の範疇に入るのですが、脳神経外科、心臓血管外科、呼吸器外科などと同じように消化器に特化された専門外科であるといえます。

さらに消化器外科は診療領域が広いため、食道や胃・十二指腸を診療する上部消化器管外科、大腸・小腸・肛門等を診療する下部消化器管外科、肝臓・胆道・すい臓を専門に診療する肝・胆・膵外科というように細分化されています。

それだけ消化器外科では微妙な手術が多いということであり、消化器系の病気はさまざまな臓器や神経などと密接に関係しているため、外科的処置も専門的な知識と豊富な経験が必要になります。食道がんの手術ひとつを例にとってみても、食道の側にある声出す神経をいかに温存しながらリンパ節を取り除くかなど、高度な技術を要するのです。

低侵襲性医療の確立
一方患者さんのサイドから考えると外科治療では、体に負担がかからない低侵襲性治療の確立が求められています。過去、がん手術などでは、大きな傷口で患部とその周辺も幅広く切除して転移を防ぐというのが一般的でした。しかし、内視鏡手術の導入で、小さな傷口で患部を切除する技術が普及すると、患者さんとっては痛みも体の負担も少なく、入院期間も短くすむようになり、大きなメリットが得られるようになったのです。

消化器外科医は、以前から内視鏡(胃カメラなど)の操作に熟練していたので、内視鏡外科技術にも高い能力を発揮しています。手術方法を標準化するためのガイドラインも日本内視鏡外科学会が中心となって作成されています。

手術方法などの高度化によって、胃がんや食道がんの死亡率は減少傾向にあるのですが、大腸がんや肝臓がんなどの発生率は依然として増えています。消化器外科医の果たす役割がまだまだ山積しているといえるでしょう。

食道がんの治療
私は胃や十二指腸、食道などを含む上部消化器疾患を専門とする消化器外科医ですが、専門として最も特化しているのは食道がんです。食道は長さ約25センチ、直径約2~3センチの臓器であることを、ふだん認識されている方はあまりいないと思います。食道がんは胃がんや大腸がんとは性質が違う扁平上皮がんが多く、通常、胃がんの倍くらいのスピードで増殖します。

食道がんが見つかったときに大切になるのは、がんの深さと転移の有無になります。深さによって外科手術か内科的治療かが選択されるからです。粘膜表面にとどまるような早期がんの場合は、内視鏡的粘膜切除によりほぼ完治します。

昔は手術が第一選択肢でしたが、体への侵襲も大きいことから、最近は手術のできない人、早期がん・転移のない進行がんに放射線と抗がん剤のセット治療も効果を上げてきています。これは化学放射線療法と呼ばれ、放射線と化学療法を同時に組み合わせて行うことにより、約2ヵ月の短期間で高い治療効果があることがわかってきており、今後も期待される方法であるといえます。
 
食道の近くには声帯を動かす神経があり、食道がんの患部の位置によっては手術によって声帯に影響を及ぼさずにはすまない場合も出てきます。つまり、食道がんの手術をして、がんを取り除く選択が、声を失う選択にもなってしまうことがあるということです。声帯を温存できるか否かは、術後のQOL(クオリティー・オブ・ライフ=生活の質)を保つ上で重要な要素となってくるのです。

声帯温存術を確立する
声帯に影響を与えずに、しかもがんを確実に手術することを発生機能(声帯)温存術と呼びます。食道がんの中でもとりわけ私が専門とし、その術式を確立したことで世界的な評価もいただくようになりました。

それまで頸部の食道にできる食道がんでは、ほんの初期のもの以外はほとんど摘出することが普通だった喉頭(声帯)を、もっと残せるのではないかと考えるようになったのは、実はきっかけとなった患者さんがいらっしゃいます。

その患者さんは50歳代の男性でした。なんとか声を残してあげたいと考えた私は、それまで行われてきた方法で喉頭を残す手術を行いました。手術は成功し、発声機能を残すことができたのでした。ところが、声は残せたのですが、手術が終わり、体の回復を待っていざ食事をしようとすると、気管のほうに入ってしまいうまく飲食することができないのです。
「飲食ができない」ということは、「生きていくことができない」ということを意味します。「声」と「生きること」、どちらが大切かといえばもう選択の余地はありません。それゆえ、せっかく声を残すことができたのにもかかわらず、再手術によって喉頭を切除することになったのです。ああ、こういうことがあるので、これまでも先輩たちが声帯を残せなかったのだと改めて実感したのでした。

そういうことがあってから10年くらいが経過し、また同じような患者さんが私の前に現れました。今度は40歳代の患者さんで、営業の仕事をされていることもあってぜひとも声を残してほしいと言われました。

営業マンの彼にとっては、「声を失うこと」はすなわち、仕事を失うことであり、彼らしさを失うことを意味していました。医者としては、「声」と「命」では、比べるまでもなく、命を守ることを選ぶのが当たり前だと思っていました。彼に会って、人それぞれの生き方の中に、大切にしているものがあり、それを人として理解をして、医者として接するべきであることを学びました。その前の患者さんには実現できなかったことを、なんとか実現してあげたい。その思いに駆られ、今度は耳鼻咽喉科の先生に相談したり論文を調べたりしながら、食道の入り口の筋肉を切り離すことによって、飲み込むことは可能になりそうなことがわかってきました。さらに咽頭拳上という術式を加えることによって、食事ができるようになる可能性も濃厚になったのです。

そのようにしていくつかの術式をうまく取り入れ合成することによって、発声機能も残し、なおかつ飲食することも可能な術式を確立することができたのでした。幸い手術は無事に成功し、その患者さんはすっかり元通りの体に戻られて元気に退院なさり、お仕事も続けていらっしゃいます。

幸運の重なり
声帯温存術の確立は、印象的な患者さんとの出会い、私の外科的技術のレベル、他科の術式を知る機会、医者としての若い気概といういくつかの要素がちょうど合致したことによって、すべてが整えられ、なるべくして生まれた幸運の賜物でした。いくら他科の術式を組み合わせるといっても、自分の技術がそれに追いついていなければ実現は不可能であったでしょうし、逆に自分の技術が先行し過ぎていれば、今度は他の科のことを受け入れる気持ちにはならなかったかもしれません。両者の間には、まさにタイムリーな出会いがあったといえるでしょう。
 
更に実幸運なことに、放射線や抗がん剤もその頃ちょうど効果の高いものが導入され、私の方法の確立に追い風を与えてくれることになりました。
 
また、ドイツで病理学を学んだことも幸いしていたといえます。食道がんは最難治がんの代表だといわれ、手術にもひじょうに難度の高い技術を要するのですが、その病態や発生のメカニズムを熟知しておくことによって、手術における可能性や起こり得る状態などが想定できるのです。病気の本質を理解したうえでメスを握ることは、手術の質に大きな影響を与えるといっても過言ではありません。
 
また放射線や抗がん剤を用い、がんをあらかじめ小さくした上で手術を行うことも、がん治療には大変有効であることはすでに述べましたが、手術は外科だけでできるものではありません。診療科間の壁をなくし、各科の情報共有が進むことで患者さんもよりよい医療を受けることにができるようになるのだといえるでしょう。

新たな領域の出現
臨床における声帯温存という成果だけでなく、研究の分野でもひじょうに価値のある研究と巡り会うことができたのは幸運なことでした。がんの転移に関する研究です。この研究については、もともとはM教授の研究に端を発しているといってもよいかもしれません。
 
ある時M教授が、顕微鏡で大腸の上皮細胞を私にお見せになりました。ヘマトクリット染色法という病理の標本などに用いるオーソドックスな方法で染色されたその一連の大腸切片では、上皮細胞のどこがおかしいかどこが違うか、まったく区別のつかない細胞に見えました。
 
ところがその同じ細胞を、M教授が考案された免疫染色法という方法で染色して観察すると、今までまったく同じに見えていたものが、きれいにふたつに分かれて見えるのです。片方はいわゆるがんの遺伝子をもっているであろう細胞で、その遺伝子がつくるタンパクによって違って見えるのでした。一見同じように見えても、明らかに遺伝子に異常が起こっているのです。
 
M教授の考案による免疫染色法は、それ自体もちろんすばらしいものでしたが、それだけにとどまるものではありませんでした。タンパクによって違って見えたそれらの細胞は、もしかすれば将来がんになるかもしれないことを予兆させる、新たな領域の出現を意味していたのです。

がんの転移と接着分子
いまさらですが、がんは人を死に至らしめる病気として恐れられています。しかしすべてのがんが、人を死に至らしめるわけではありません。臓器の一ヶ所にできたがんは、そのがんを取り除けば、身体の中にがんはなくなるわけですから、完治することも珍しくありません。
 
恐ろしいのは、一ヶ所だったがんが、血液やリンパ液に乗って全身に転移することなのです。全身に転移したがんは、発見して取り除いたとしても、まだ身体に潜んでいる可能性があり、完治することは難しくなります。つまり、がんの転移を抑えることは、がんの死亡率を減らすという意味で画期的な策になりえるため、多くの臨床医にとってがんを制圧することを目指す上で夢のような話といえます。
 
その頃京都大学理学部で、細胞接着分子について研究しているT教授という先生がおられました。細胞というのはがん細胞でも普通の細胞でも、接着し合うことでひとつの組織を生成しています。細胞は組織を形作る根本であり、細胞同士を接着させているものとして何かが存在していることはわかっていたのですが、それが何であるかは同定されていませんでした。T先生は細胞を接着させる接着分子の存在を発見し、明らかにされた方だったのです。
 
細胞接着分子を、M教授の考案による免疫染色法で染色し顕微鏡をのぞいていた私の目が釘付けになりました。正常な細胞では細胞と細胞がきちんと接着し合って簡単に離れることはありません。けれどもそれががん細胞になると、接着分子の働きが弱くなっていて、簡単にはずれることに私は気づきました。
 
接着が簡単に離れてしまうということは、体内のどこにでも飛んでいけるということで、それはがんの転移を想起させました。細胞が固く接着し合ったままでは転移は起こり得ないからです。転移することによって増殖していくというがんの特性を考えると、がん転移のメカニズムにはその接着分子が大きなカギを握っていることが予想されたのでした。
 
最終的には国立がんセンターのW先生を中心とする国家的プロジェクトとしてその研究の機会を与えられ、T教授との共同研究という形で、細胞接着分子ががんの転移の原因のひとつであることを証明することができました。それは世界で初めての発見でもあったので、ひじょうに高い評価をいただき、多くの学会誌に論文を掲載していただくことができたのでした。
 
初めての発見であるということは、その領域の研究にはまだ誰も着手していないということを意味しており、そこから先はどのような着眼点からでも自由に研究を深めていくことができます。E─カドヘリンというその接着分子の下にはさらにカテニンという分子があり、カドヘリンに何らかの操作を加えると細胞の形が変形してしまうことも明らかになっていきました。
 
私の研究を起点として、それ以降後輩たちがさまざまな研究を重ね、それまで解明されていなかったことが次々に解き明かされるようになっていったのです。

食道がんの現状
かつてはひじょうに難しいとされた食道がんの手術でしたが、その術式は現在ではほぼ完成の域に達しているということができるかもしれません。難度の高い手術であったために、消化器系のがんの手術の中では、手術の術式の完成に一番時間を要し、最近になってようやく完成されてきたのです。
しかし、困難な手術であることには変わりはなく、完璧な手術ということを念頭におくならば、それが可能な外科医は日本で数人というレベルかもしれません。
 
放射線と抗がん剤の進歩も、食道がんの治癒率の高まりには見逃すことのできない要因でしょう。特に放射線は、今ではコンピュータの導入によってかなり高い精度で集中的に照射することが可能になりました。今まではがん周辺の健康な細胞も含んだ部分に照射していたものが、三次元の条件設定によってピンポイントで照射することができるので、脊髄や心臓などといった大切な臓器を避けることも可能になりました。
 
食道がんの治療成績は欧米では治癒率約20%にくらべ、日本では約50%と格別に高いのです。けれども、それはあくまでも平均であって設備などには病院間の格差もあり、医師の技量の問題もあるので、生存率については一概に述べることはできません。これはどんな病気に関してもいえることですが、病院や医師を選ぶことはひじょうに大切なことであるといえるでしょう。

<2012/9/17 掲載>

(2009年 株式会社 悠飛社発行 塩﨑 均著 「天を敬い、人を愛する」より著者のご厚意により転載させていただいています。)