第7回「悔いなき生き様とは...(4)」2012:03:26:16:59:54

産経新聞社 社会部記者 北村 理

建築家の安藤忠雄さんとここ2年間、原稿のやりとりをしている。
彼を称して、「格闘する建築家」という。
ひとことでいえば、「戦わずして、食うべからず」というのが持論だ。
もっとも、戦うというのは、競争相手を負かすということではなくて、自分の内面(精神)における「戦い」のことを指す。

住吉の長屋.jpg人間にとって、この「戦い」を強いられる最も大きな相手は、自然だ。
かくして、安藤建築は、その代表作「住吉の長屋」にみられるように、家のなかを移動するのに、雨の日は傘をさして歩く、ということになる。

このコラムでも以前触れたが、東北の大震災で津波から逃げ遅れたのは、現代人が自然を感じられなくなっている証左だと考えている。
この「自然との距離感が人間の生きる力を左右している」との思いは、がんの取材をしていて思ったことがある。

乳がんを克服して元気にしている人に話を伺ったことがあるのだが、全く、生活は以前と変わらないのだという。東北の大震災でもボランティアをしていた。しかも、福島で。もっとも、住んでいる所も福島なのだが。
この女性に元気な理由を聞いてみたら、自分の幼い時から身体の中に残っている「ある感覚」だという。それは「蚕がえさをついばむ音」。育った環境が養蚕業の盛んな所で、その時が来ると、「身体の芯が揺さぶられるようで、身震いをしていた。今でも思い出すと身震いする」と話す。
一斉に、蚕がえさを食べ始めると、「ざあー」というような、トタン屋根に夕立が降り注いだような音がするらしい。

全く、同じ話を、岐阜県出身の助産師さんが話してくれたことがある。赤ちゃんが生まれようとする時、蚕がえさを食べるがごときの「自然のもつ根源的な強さ」を感じるという。

こういった、自然の刺激を感じることも「生きる力」になるということか。便利さと自然からの乖離が裏腹であること、ひいては自らの生命力を実は衰えさせているのではないかということを、戒めをもって感じるところである。

<2012/3/28 掲載>