第6回「悔いなき生き様とは...(3)」2012:02:07:06:44:36

産経新聞社 社会部記者 北村 理

前回、在宅医と勤務医の意識の違いについて言及した。

少し極端な例をあげる。都内のある有名私大病院でのこと。

がん患者が退院して、在宅診療に移行した。退院にあたり、主治医が「困ったらいつでもどうぞ」と患者に伝えた。在宅医に選んだのは、居住区内にある、がんの在宅診療では熱心で名の知れた医師だった。
しばらくして、その患者は体調を崩し、入院を希望した。その時に患者が思い出したのが主治医の言葉だった。
患者が「どうしても」というので、在宅医が同行して病院に向った。対応にあたった有名私大病院の若い医師はカルテを調べたうえで、「これ以上当院では治療の方法がありませんので、受け入れられません」との返答だった。玄関先での押し問答だったらしい。翌日、在宅医が主治医に連絡を取ろうとしたが、病院側では「いない」の一点張りで、以降、連絡がとれないまま、失意のなか、患者はなくなった。

その在宅医は、主治医の患者への言葉かけを指し、「いつでももどっていらっしゃいというのは、在宅医は勤務医より格下と思い込んでいる」意識の現われだという。その安易な言葉かけが結果的に、「患者の心を乱した」と在宅医は憤る。

なぜ、このような事態が起きるのか。
多くの在宅医は「在宅診療の実態が病院医師や患者に知られてないからだ」という。国は、病院から在宅への流れを加速している。また、それを可能にする医療技術の開発も進んでいる。課題は、これまで何度か触れてきたように、病院と診療所、訪問看護、介護サービスなどとのネットワークなのだ。また、患者側の病院信仰も根強いものがある。

こうした、日本の医療の変わり目のひずみが、冒頭の主治医の患者へのひとことに現われた、と在宅医はいう。

主治医にとっては何気ない一言、おそらく好意で口にした一言が、患者の生き様を左右した。
このことは、医療者の問題だけでなく、やはり病院だよりになってしまう患者の意識、その背景にはわれわれ地域社会の生活のありかたも問われているということを知るべきであろうと思う。(つづく)