第5回「悔いなき生き様とは...(2)」2011:12:08:21:55:59

産経新聞社 社会部記者 北村 理

ある患者さんの話をきいて、本当に世の中には不思議なこともあると思ったことがある。
 
男性の肝臓がんの患者さんが秋口に、主治医に「もうこれ以上治療をしても体力を落とすだけです」といわれた。転移をしており、年は越せないと家族には伝わっていた。
 
男性は緩和ケア病棟を予約する手続をすませ、体の動けるうちにせめて思い出をと、夫婦で東北・秋田に温泉旅行にでかけた。
 
駅のキオスクで、男性は、なぜか産経新聞をふと手に取る気になったらしい。家族によると、それまで産経新聞など家でとったことがなかった。
それが、キオスクのスタンドで数ある新聞のなかで、(秋田であまりというかほとんど部数のでてない...)産経新聞を読んでみたいと思ったことが「一つ目の不思議」。
 
そしてたまたまその日の新聞に、私が抗がん剤の緩和ケア的療法について特集を書いていたのが「二つ目の不思議」。
 
さっそく、男性は、記事に書かれていた東京の医師に連絡をとり治療を開始した。結局、その男性は、緩和ケア病棟をキャンセルし、抗がん剤治療を続け、元気に年を越した。
 
最後は、自宅でくつろいでいる時に意識を失い、救急搬送され、そのまま亡くなった。
 
亡くなってから、東京の医師を通じて、男性の奥さんから連絡があり、感謝の意を伝えていただいた。「一時は絶望したが、治療を再開して元気になり、最後まで希望を失わず、自宅で過ごすことができた」とのことだった。
 
このエピソードのなかで、主治医と東京の医師を比べ、その是非を問うべきではない。それぞれ役割が違うからだ。
ただいえることは、「在宅療養」という選択肢が医師の頭にあるかどうかの違いによって、治療方針に大きな違いがでてくるということだ。
 
結果的に、この男性患者の余命は、主治医の見立てと数か月の違いだった。しかし、QOL(クオリティ・オブ・ライフ)という物差しで図ると、彼我の違いは大きい。
 
もし、男性患者が東京の医師の元に通わなければ、
座して死を待ち、緩和ケア病棟で亡くなっただろうことは想像に難くない。その心中は察するにあまりある。また、家族の心理的負担、入院にともなう財政的負担も少なくない。
 
一方、男性患者が選択したように在宅での療養が可能となり、前向きに治療が続けられたとしたら、家族にとっても、やるべきことはやったというある種の折り合いがつくだろう。そのことを、男性患者の奥さんは、私に伝えたかったのだと思う。
 
在宅医師が悩みとして打ち明けるのは、前回紹介したように、この病院勤務医師との意識の違いだ。

(次回につづく)