第1回「私の思い」2011:09:03:23:45:27
吹田ホスピス市民塾 会長 小澤 和夫
1.原点
40歳代のころから、こんなことを考えていた。人は1人では生きていけない。多くの人に支えられて生きている。それら多くの人にご恩返しをしようと思っても、お会いした事のない不特定多数の皆さんだから、直接お礼を申し上げようもない。それなら、自分が世間から支えられた以上に、多くの人たちのお役に立つように活動する~皆がそうすれば、一人ひとりの力は小さくても社会全体が良くなっていくに違いない。
2.60歳の定年を過ぎて
若いころから働く以外に何もできなかった私は、定年後も個人で仕事を始めたが、原点が心に引っかかっていて、65歳から吹田でボランティア活動に参加し始めた。3つのグループに所属し、現役時代の企画の体験を生かして、グループの活性化に尽力し、それぞれ、代表や副代表を務めさせて頂いている。
3.ホスピスとの出会い・・70歳からの挑戦
8~9年前に、大阪市のボランティア養成講座で学んだとき、講師の一人のK医師の「終末期は、人生の完成期であるが、惨めに、淋しい思いをして亡くなっていく、特にがん患者さんが・・」のお話しを聞いた瞬間、「これが、私のライフワークだ」と感じた。偶々、吹田市に、「あなたの夢をみんなの夢に、そして吹田の夢に」をキャッチフレーズにした「吹田まちづくり市民塾」の制度を知り、早速応募、2倍の競争率の中を、平成18年度に採用された。2年後は、市の制度から独立して活動を継続している。
4.始めて良かった
いま6年目。約90名の会員に支えられて、当初の目的「終末期のがん患者さんが、自分の希望する場所で、希望する状態で穏やかに過ごせるためのネットワークとシステムを作る」事から、「がんの川上(予防、早期発見・早期治療)から川下(ご遺族のグリーフケア)までを考える市民グループに変化しつつある。
市民への情報発信は、公開講座(6年間で38回)、2年に1回のビッグ・イベント(自主映画会「終わり良ければすべてよし:725名)」、「鎌田實講演会:1,106名」)、毎年の「吹田みんなの健康展」に参加(200~300名の市民と話し合い)、2年間で約20回の出前講座、毎月の行事案内を吹田市報で、などの情報発信を重ねてきたお蔭で、市民への浸透度も徐々に進行、毎月の例会や患者会、に新規の参加や、電話での問い合わせなどの相談・問い合わせも増えてきている。
勿論、当方は医療者ではないので、一緒に話し合い、情報を提供し合うだけではあるが、ご自分がお話しになる中からご自分の考え方をお決めになっていかれる。
取り分け、昨年2月に発足した「吹田がん患者・家族会」、私自身が患者ではないので、スタートに当っては逡巡をしたが、他の幾つかの先輩患者会のお話しを聞いて、「やってみよう、ダメなら止めればいい」と、月例会をスタート。
毎月20名ばかりの方がおみえになり、近況報告、お互いの情報交換、時には、ハーモニカ・レコーダー・三線などで一緒に歌を。在宅医の先生や、訪問看護ステーションの所長さんもお顔出し頂いたり、毎回、皆さんが楽しみにしておられる。
最近では、人には話せない心の奥底の悩みを話されたりで、本当に「始めて良かった」と実感している。
病院での治療が出来ない方もお見えで、昨年も今年も、何人かが亡くなられた。悲しい事ではあるが、皆さんの終末期~人生の完成期に当って、心の安らぎに、少しでもお役に立つ事が出来るとすれば、この上もない喜びである。
5.これからの課題・夢
(1)市民塾:私、間もなく喜寿。後継組織をどうするか。
会員の目標:第一次100名、間もなく届きそう。第二次1,000名。
(2)吹田地域:
①'06年6月に発足した吹田在宅ケアを考える会(代表世話人:吹田市民病院主任外科部長村田幸平氏。世話人18名。地域の医療者・ボランティアを対象に年2回の公開研究会を開催)に参画してきたが、ホームページの作成、吹田地域のがん在宅マップの作製など、具体的な展開を始めている。今後は、緩和ケア研修会を受講した医療者を中心に、小さなネット研究会を作るなどして、吹田地域のがん在宅ネットの構築を急ぎたい。
②東部拠点開発地(吹田操車場跡地の開発)に、ホスピス病棟を設置したい。
(3)大阪府:
①'11年9月発足予定の大阪府がん対策推進委員会と傘下の12部会が、法及び条例の目的に沿って、活動を活性化、進展していく。
②大阪がん患者・家族連絡会(26団体)が、更に加盟団体数を増やしながら活動を活発化して、患者・市民の代表としての発言力を増していく。